ハイテク凱旋道・山田道
昨日に続いて「道」。田村麻呂の墓は、平安京羅城門へと続く交坂路(滑石越とも。)で見つかりました。述べたようにここは田村麻呂の凱旋道でもありました。*滑石の名がついた理由は知りませんが、滑石とはとても軟らかい石で、加工しやすさから勾玉などにも使われていますね。現在も勾玉作り体験なんかのセットにはこの石が入っています。)
今朝の新聞に登場したのは、明日香の古道「山田道」。日本最古の「贄(にえ)=税」の文字が書かれた木簡が発掘された石神遺跡で昨年3月見つかった道です。この道は、飛鳥の歴史の中で、さまざまな重要局面で登場する道です。
この道を通って飛鳥に入ったと思われる著名人?は、まず輩世清。あの聖徳太子が送った「日出る…」の文書のときですね。小野妹子とともに来日したのが中国のハイセイセイどの。もちろん「中華思想」の時代、日本くんだり?まで来るのは低い身分の役人。そして、大化の改新で中大兄皇子暗殺の疑いで軍勢に囲まれた蘇我石川麻呂が敗走して飛鳥に入ったのもこの道。彼は、自分の建てた山田寺で自害。(この寺の側を通る道だから「山田道」と名付けられたのですが、ヒサンな最期ですね。)
そして、壬申の乱では、勝利した大海人皇子が凱旋して伊勢から飛鳥に入ったのもこの道といわれています。
権力者の栄枯盛衰を見つめてきた道ですね。
今回の調査で、この道、当時中国から伝わったハイテク技術が駆使されたものであったことがわかりました。
道幅18m(今なら4車線道路並み)。道には長さ80㎝~1mに切りそろえた榊などの広葉樹の枝を敷き詰め、その上に砂と粘土質の土を交互に盛る…こうすることによって、水はけが格段によくなり、地盤が強くなるわけです。当時最先端の土木技術「敷葉工法」です。その脇には石組みの溝。見事な大道ですな。
全長約5㎞のハイテク道。凱旋はさぞ気持ちよかったでしょう。
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